●色々な偶然や親切な方たちのおかげで修理完了したBROMPTON@中華人民共和国 大連市
特に、小料理屋のママさんに出会っていなければ絶対に直らなかったろう。
ありがとうありがとう
●時刻は17時過ぎ
中国の北の外れの街・斉斉哈爾(チチハル)行き寝台特急は、20:22に大連駅を出発する。
それまでの時間、お世話になった小料理屋『泉』で夕飯を食べてから、駅に向かうことにしよう
ママさんは中国語が苦手な僕の為に、1枚のメモを書いてくれた。
このメモには僕が宿泊するホテルの名前および住所と、「ここに送ってくれ」と書かれている。
駅に着いた後、タクシーの運ちゃんにこれを見せれば、ホテルまで送ってくれるという訳だ。
『まあ、いかに僕がマトモに中国語を話せないとはいえ、このメモは必要ないかな』と思いつつ、有り難く頂く。
その後、このメモが哈爾浜で僕を助けてくれることになる。
その他、「話が通じない相手に会った時には通訳するから遠慮なくかけて」と電話番号を渡してくれたり、
『中国版のLINE』というべき『we chat』のインストールを促して連絡出来る様にしてくれたりした。
『ほんと、世話好きな人なんだな』
少し圧倒されたが、とりあえずこれで、自力でどうやっても解決できない会話上の課題が発生した場合でも、
僕にはエースのカードがあるという訳だ。心強い
●念のため、ちょっと早めの18時30分には店を出て、駅に向かうことにする
BROMPTONに着替えなどが入ったキャラダイスバッグをセットして、準備完了。
旅の荷物はこの自転車+バッグと、もう一つ、小物入れる為の小型ショルダーバッグだけ。
薄着が可能な季節なので、キャラダイスバッグには6日分程度の着替え・小物+vaioを収納出来ている。
もっとも、次の哈爾浜は稚内と同じ緯度なので、10分丈のパンツ、アウターも持ってきてはいる。
さあ、見送りに出てきてくれたママさんに手を振って出発だ
本当にありがとう。
また、大連にきっと遊びに来るからね~
●大連駅に向かう
道路上はものすごいラッシュだが、上海でも書いた様に、こんな路上でも、自転車はなぜか割と走りやすい。
このあたりの理由は、後々、僕にも判ってくるようになった。
●それにしても、けっこう慌ただしい旅だ
今回の旅では宿泊するクラシックホテルの探訪も目的の一つだったが、おざなりになってしまっている。
先日宿泊した大連賓館(旧ヤマトホテル)も、館内に日本統治時代の様々な資料が飾られていたが、
僕が見たのは、昨晩、立ち寄ったBARの写真くらい。
夏目漱石もここに来ていたのか。
ロビーにあった写真や絵画も、少し微妙な日本語の解説とともに、一応は見れていた
占領地。
他国の土地を自国が占領しているとして、そこに降り立った時、どんな感覚になるんだろうか?
僕には想像がつかない。
じいちゃんやばあちゃんは、一体、どんな感覚だったんだろう?
●しかし、残念なことに、現実の僕は ず~っと旅に没頭している訳にもいかないのだった・・・
今回は平日に休みとってるわけで、僕のこの旅の間も僕のスタッフは一生懸命仕事をしてくれている。
と、なると、当然、僕はその仕事の確認や承認をこなさなければならない。
VAIO Zを持ってきたのはその為であり、毎日、一定の時間を割り振ってこれらを処理する必要がある。
BARの女の子にルームナンバーを訊かれても、その手の遊びに費やす時間など無い旅なのである(*v.v)。。
ホントはもっとのんびりとクラシックホテル内を探訪して、優雅に現地の朝刊読んだりとかしたい。
僕は貧乏性ゆえに予定を詰め込み過ぎているんだろうな~
次なんて、寝台特急で寝ながら移動だぜ。
そんな事せずとも、飛行機や新幹線で早く移動して、現地でホテル取って寝ればいいじゃんね。
●『ロマン(*v.v)』というあやふやな言葉にかぶれると、人はおかしくなるという事だ
大連駅に到着。
簡単に着くかと思っていたが、道に迷って意外と手こずった。
●とりあえず、中に入ってみる
思ったより遥かに旅客の姿が少ないのは、こちらの入り口が裏口だったからのようだ。
予約したチケットを受け取る為のカウンターが見当たらなかったので案内係の女性に質問すると、
彼女はスマホの『音声翻訳機能』で中国語⇔日本語間の壁を突破して正しい入り口を教えてくれた。
そうか、その手があったか
僕の知る言葉が何ひとつ通じないロシアで非常に役立ったgoogle翻訳の『音声自動翻訳機能』
現地のロシア人通訳が僕のXPERIAを見て「ワンダーテレホン!」と驚愕していたアレだ。
中国ではわずかに中国語が判るのと、片言の英語が通じるケースがあってここまでやってきたけど、
哈爾浜ではそれも通じないだろうから、『ワンダーテレホン』準備しておこう。
●大連駅の裏口から正面口までは、けっこう遠かった(3kmくらいあったかも知れない)
でかい!
上野駅が頭に浮かんでくるシルエット。
大勢の旅客で賑わっている駅の正面で、BROMPTONをサッとパッキングして、駅に乗り込む。
セキュリティチェックを通過して2階の改札前まで行ったが、チケットカウンターが無くて1Fに追い返される。
BROMPTONを抱えて階段を上ったり下りたりするのは本当にキツイオモイー
チケットカウンターはセキュリティチェックゲートに向かって左手側にあり、
パスポートを渡した上で『支払い済み』を示すスマホの画面を見せたところ、すぐに切符を手渡された。
このチケットカウンターの不愛想なお姉さんにも、笑顔で「谢谢了」と言ったら、
向こうも笑顔になって頷いてくれた。
こういうちょっとしたやりとりが、なんか楽しかったりする。
セキュリティチェックのおじさんは、来て、出て、またやって来た僕の姿を見て
「走吧走吧(はよ通れ)」と言ってノーチェックで通してくれた。
こんなちょっとしたやりとりも、なんか楽しい
●『待合室』にやってきたのは20:00チョイ前だった
大連駅、構造にちょっと戸惑ったが、各ホームへの入り口にもう一度改札(検票口)がある模様。
日本の様に、一度改札を通ると各ホームにつながる連絡通路があるというものではないらしい。
そして、各ホームへの改札にぐるりと取り囲まれているこの待合室は、多くの旅客でごった返していた。
僕が乗る寝台特急は、この第8検票口から出るようだ。ちなみに票=切符だ。
10時間弱の移動に備えて、隣の売店で飲み物とおやつを買っているうちに、改札が始まったらしく、
旅人たちが検表口の中に流れ込んでいく。
●人混みに流されてエスカレーターに乗れず、BROMPTONを抱えてヒィヒィいいながら階段をおりると…
列車が待っていた。
●大連発 斉斉哈爾行の寝台特急T129
斉斉哈爾はロシア国境に近い中国最北の都市のひとつ。
僕が向かう哈爾濱(ハルピン)は、その少し手前に位置する、やはり中国最北部の都市のひとつだ。
大連からの距離はおよそ1000km。乗車時間は予定では9時間48分。
中国の寝台特急の客車は、まずは座席車と寝台車に大別され、さらにそれぞれ硬・軟の2種があるらしい。
これがグレードになっていて、低いほうから「硬座」→「軟座」→「硬臥」→「軟臥」の4種となるようだ。
また、列車によってはさらにハイグレードの「特級軟臥」などという席があるものもあるらしい。
それぞれの席の利用者層は、大体は所得層によって区分されているようで、
中国の寝台列車での旅を紹介しているウェブサイトを事前に調べたところでは、
比較的それなりの収入を得ているビジネスマン等が利用する「軟臥」(最上級)以外は、
『日本人はあまり使わない方がよさそう』という事だった。
要は騒がしかったり、汚かったり、治安の問題があったり・・・などとの事。
なので、僕が選んだのは最上級の「軟臥」。
これを選んだのは治安の問題もあるが、おそらくは1人あたりの空間が一番広くて、
BROMPTONを置きやすいだろうと思ったからだ。
ちなみに、最上級と言っても、大連~哈爾濱およそ1,000kmの旅路でたしか8,000円弱だったと思ったから
日本の寝台特急と比べると爆安といえるだろう。
軟臥は日本の寝台特急でいうところの「A寝台」らしい。
指定された席は、上段・下段の寝台席が2組セットになった4人用のコンパートメントだ。
心配していたBROMPTONの置き場所については問題なく置けるスペースがあり、かなりホッとする。
乗車した後すぐに女性の車掌さんがやってきて、僕の切符と交換でルームカードキーを渡してくる。
なるほど、このカードキーがある人以外はコンパートメントに出入り出来ないという事らしい。
ちなみに、僕の席は上段側のベッドなのだが、その底面は僕の肩と同じくらいの高さにあるぞ。
『・・・こんな高いのに、どうやって登るんだ?』
あ、もしかしてこれがステップ?
かつて日本を走っていた寝台車みたいな『ハシゴ』があるわけではないみたい。
その分、車内はスッキリしていてスマートに感じるんだけど、
結構高い位置にある上段ベッドに登る為に足をかけるステップは一段しか無いように見える。
その高さは床から100cmくらいはありそう。
これ、下段のベッドを踏み台にしないと登れないな。
このあたりが日本と中国の『パーソナルスペース』の感覚の違いかもしれない。
そして、僕はそれで登れるけれど、それでも年配の人にはかなり危険なのではなかろうか?
小柄な人も厳しいかも。
また、コンパートメントと廊下の間にはドアがあるが、ベッドごとのカーテンなどが無いのは個人的に気になる。
異性がいたら着替えの時など気まずいし、それに、僕は、そもそも人がいるところで寝るのが苦手だ。
列車はアナウンスもないまま、静かに走りだした。思いのほか静かで、びっくりするくらい
しかし、中国の寝台特急で一番印象的だったのは、車両の事とかではなく、その利用者の多さ。
日本出国前にチケットを予約する時、中国全土を走っているたくさんの寝台特急ほぼ全てが満席なのを知った。
実際、寝台列車が発車するホームは大勢の利用者で賑わっていた。
始発駅の大連は勿論、次の駅も、その次の駅も。
駅や沿線で写真撮る人はたくさんいる割にいつもガラガラだった日本の寝台特急(昼の特急もか)と真逆だ。
写真撮ってる人など僕くらいしかいない。
日中であれば、下段ベッドに座席代わりに腰かけて乗るものらしいが、乗った時間が夜だったので、
すぐにベッドとしての利用をするらしい。
中国語でまともな会話が出来ない僕としても、その方がありがたい。
ベッドに登って、横になった。ベッドは一般的なシングルベッド程度の広さはあるかも知れない。
寝心地も悪くなく、寝具も清潔で、予想外に気持ちいい
ただ、ベッドとカベの間にはスキマがあって、ここから財布やルームキー、スマホなどを落とすと、
下段の客のベッド奥の方に落ちる事になり、非常に厄介と感じた。
少し時間が経ったあと、下段のお客さんがコンパートメントの照明を落とした。
なるほど、消灯時間みたいなものがあって暗くなるというわけではないんだね。
暗闇の大地を、列車はレールの継ぎ目の音など感じさせることもなく、きわめて滑らかに走り抜けてゆく。
ところどころ、通過駅でポイントを越える時だけ、グッと横揺れしたが、基本、とても静か。
『意外と、快適かも知れない』
そんな事を感じ始めた。
治安面に関しても、各車両ごとに車掌さん(基本、女性らしい)が1人ずつついているのと、
少なくとも軟臥に関しては客の出入りがほとんどなく、静かであり、不安は無さそうと感じられる
しかし、やっぱり、慣れない人が傍にいると、僕は眠れんな
真下のおっさん、ホントにイビキうるさいな ひっぱたいてやりたい。
●ねむれないので、Googleマップで電車の位置を眺めたりしていた
23:49 鞍山駅到着
・・・『アンシャン』といえば、鉄鉱石の街だったかしら。
『フーシュン』(石炭の街)とセットで、高校の頃勉強した様な。
そういえば、地図上の哈爾浜の先に『大慶』という都市があるのも見える。
これ、その時セットで覚えたターチンじゃないかな。世界有数の油田があるという・・・今はどうか知らないが。
00:53 沈阳(瀋陽)駅到着
・・・ばあちゃんたちが旅した頃は『奉天』だったんだっけ?カッコいい都市名だよね。
ってか、日付変わっちまったぞ- -;
『・・・このまま新京(=現在の長春→『哈爾濱』の手前)あたりまで寝られないんじゃ・・・・』と思い始めたが、
そのあたりで、ようやく意識を失う・・・
●・・・ハッ!
気が付くと、腕時計の針は5時前になっていた。ちょっとは眠れたらしい・・・。
真っ暗で何も見えないコンパートメントでチャチャっと着替えを済ませ、
フェイスペーパーで洗顔がわりに顔を拭いていると・・・
●車掌さんがやってきた
どうやら、次の駅で降りる予定の客を起こしに来てくれるようだ。
●彼女はカードキーと交換で切符を返してくれた
なるほど、こういうシステムか。
●窓の外には、今までとは違い、地平線の彼方まで続く畑が・・・
これが『満州』・・・
80年前、じいちゃんやばあちゃんが見た景色も、同じだったのかしら。
まもなく到着する満州国哈爾浜市での、新しい生活に意欲を燃やしていたのかも知れない。
哈爾浜到着後にじいちゃんが携わった寒冷地の農作物研究の成果を受け継ぐ品種は、
この穀倉地帯の景色の中に、今でも育っているのだろうか?
●トイレに入っている間に、風景は一変していた
『軟臥』は高級車両の筈だが、トイレだけは汚いようだ。
『こういった電車に乗る時は、出来るだけトイレを使わなくて済む様にしよう』・・・そんな事を思って出てきたら、
風景がすっかり変わっていて、驚いた。
哈爾濱もまた、かなりの都会なのかも知れない。
皆さんが降車の準備をし始めたのに倣って、僕も降りる準備をする。
列車は哈爾濱西駅を通過し、しばらくして哈爾濱駅のホームに、静かに滑り込んだ。
到着の車内アナウンスは、やっぱりなかった。
●哈爾浜駅
80年前、海と大地で汽笛を聞きながら、ここまでやって来たんだね。僕のじいちゃんとばあちゃんは。
早上好!哈爾浜!!
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次回:その8 朝の哈爾濱駅で思う 篇
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